2008年8月14日木曜日

3年で辞めた若者はどこへ行ったのか

という本を読了しました。「内側から見た富士通「成果主義」の崩壊」で作家デビューした、元富士通の人事マンの城繁幸氏の著作です。

この本では、労働市場を水と油のように異なる二つの価値観から眺め、対比させるこいで話が展開して行きます。で、二つの価値観は、それぞれ「昭和的価値観 (守旧的)」、「平成的価値観 (革新的)」と名付けられています。コンキチ的には、「バブル崩壊」、「バブル崩壊」の方がより適切かと思いましたが、昭和vs.平成の方が耳触りがよいからね。

以下、コンキチの心に止まったフレーズ(特に空恐ろしくなる昭和的価値観について)をメモしていきます。



1) 昭和的価値観 2 「実力主義の会社は厳しき、終身雇用は安定しているということ」 -新卒で、外資系投資銀行を選んだ理由より引用
「すごいんですよ、邦銀は。入行して最初の3ヶ月、ずっとATMにお金を入れる仕事だけをやらせたり(笑)。そういう愚痴をOBから聞かされて、行こうと思う学生なんていませんよ。今じゃあ、自分のいたゼミで、第一志望を邦銀にする人間なんてまずいない」
→ライブドアの堀江前社長の言葉を思い出しました(ライブドア事件以降、世間では彼が全否定されている印象を受けますが、いいこともやったし言ってきたと思う)。「丁稚が雑巾がけばかりしていても、経営者にはなれない」的なことを言っていたと思います。でも、職場の上長はそれを強要するんだね。その理由はコンキチの想像の域を出ませんが、単純にいつかきた道を部下にもやらせているだけなのかなという気がします。例えば、コンキチが身を置く業界で博士研究員の就職が日本では困難だ的なことを書いたことがありますが(see http://researcher-station.blogspot.jp/2006/05/blog-post.html)、博士研究員の(博士号を持っていない)上司が博士を使い切れるだけのマネジメント・スキルがないことに起因するんじゃないかな?博士号を持っていない上司は、博士の部下に対して学歴コンプレックスを持っている。で、自分よりも高度な専門性を持つ部下(博士)に対して自分の(つまらない)プライドを保ちたいと思う。専門性では太刀打ちできない可能性が高い。ついでに高いマネジメントスキルもなかったりした場合、どうやって(ちっぽけな)威厳を取り繕えばよいか?とりあえず会社(権威)に伝わる伝統的な(無意味な)研修チックなことを、一から業務を覚えるためとかなんとか称してやらせてしまう。こうしてミスマッチ一丁あがるのかななんて妄想してしまいます。


「邦銀やメーカ-に就職した同期なんかと話すと、ものすごく度胸があるなって感心します。だって、自分の市場価値のことなんて、まったく考えていない。将来会社が潰れたりしたら、絶対路頭に迷うはず。なんでそんなに他人に人生を任せられるのか。私に言わせれば、ああいう生き方のほうがはるかに高リスクな時代でしょう」
→会社に洗脳され、飼い馴らされていうちに、元来備えていたエッジは削られて均質なゼネラリストになってしまう。そして、労働市場における市場価値を棄損させながら、自分が労働市場の内側にいることを忘れてしまう。そんな気がします。そもそも、マネジャーというのは一つの専門職だと思うのだが、そういった認識を企業は持ち合わせているのか疑問ですね、コンキチは(少なくとも、コンキチの勤務する会社にはそういう認識はないし、マネジメントスキルを高めるためのプログラムはないな)。
余談ですが、市場価値を失った(アホな)上司の(アホな)指示に従うことほど、モチベーションの下がることはないとコンキチは思いますね。


2) 昭和的価値観 7 「言われたことは、何でもやること」 -東大卒エリートが直面した現実より引用
転職希望者をターゲットとしたキャリア採用市場は、いまや1兆円市場だ。ただ、すべての人間がそこで通用するわけではない。求められているのは、年相応のキャリアを積んできている人間だけだ。特に30代は、もっとも脂ののった即戦力として期待される半面、それまで積み上げてきた職歴が厳しき問われる年代でもある。営業管理からSE、経理まで、薄く浅く経験してしまったゼネラリストは、どうしても低い評価しか受けられないのだ。
→企業のゼネラリスト戦略は、従業員から市場価値を奪い、その会社にしがみついてくしかできなくするための方策なのだろうかと思ってっしまいました。外の世界で生きる術を知らない、いたいけな従業員は、無理な転勤、無理な労働時間、劣悪な労働環境下においても、会社に盲従することでしか生活の糧を得ることはできない。真剣、恐いです。


3) 昭和的価値観 11 「公私混同はしないこと」 -サラリーマンからベストセラー作家になった山田真哉氏より引用
「財形貯蓄を始めたんです。数字には強かったので、月いくらずつ積み立てて。35歳でいくら、50歳でいくらと計算する。年功序列だから、各年代でもらえる給与もだいたいわかる。しかも職場には、各年代の人間が並んでいるから、実際の生活風景まで想像できてしまう」
 重い住宅ローンを背負いつつ、食べたいものも食べず、残業代を稼ぐためにオフィスに遅くまで残る先輩たち・・・・・・それが10年後、20年後の自分の姿そのものだと気づくと、彼にはそれ以上、そのレールの上に留まることができなかった。
「別に給料が安いなんてことは無かったですよ。ただ、なんというか、彼らはまったく楽しそうに見えなかったんです。日々仕方なく、いやいや会社にきている。自分も今にそうなると思うと、耐えられなかった」

→チンタラ、チンタラぼんやり仕事をしている年配社員。時間外労働中にパソコンゲーム(ソリティアorフリーセル)をやっている先輩社員。研究員なのに英語の文献を全く読まない先輩社員。怠慢かましているくせに、(労働組合を通して)権利だけはしっかり主張する。そんな人間の中に身を置いていると、自分もその思想に洗脳されてしまうことに恐怖を感じます。そんな将来を想像すると自分が腐れてしまいそうです。


4) 昭和的価値観 16 「新卒以外は採らないこと」 -リクルートが始めた、新卒以外の人間を採用するシステムより引用
企業にとって多様性が重要
ところで、リクルートがここまでして多様性を重視するのは、何も兵隊の頭数を揃えることだけが問題ではない。そこには、もっと重要で本質的な意味がある。それは、多様な価値観を組織に受け入れることだ。
 同社は元々、年功色の薄い職務給ベースの人事制度を採っており、すべてのポストは勤続年数ではなく、個人の能力で割りふられる。その結果、社内の主要ポストで組織の舵を取るのは30代が中心だ。(中略)
 こういった組織では。まっさらで均質な新人よりも、自発的で強い個性が必要となる。自分で課題を見つけ出し、自分で解決していく素質といってもいい。そして若い個性は、古い価値観を駆逐していくのだ。

→リクルートがどんな会社だかはいまいち良く分かっていないけど、多様性(diversity)は重要だと思う。フロリダ教授の著作では、寛容性(tolerance)が重要だと述べられていた(see http://researcher-station.blogspot.jp/2007/12/blog-post.html, http://researcher-station.blogspot.jp/2008/07/rise-of-creative-class.html)けれど、両者とも優れた尖った才能の重要性を認識している点で同じと思います。クリエイティブな仕事では、紋切りの協調性だけでは競争できない。なので、エッジの立った個性を繋ぎ止めるためのインセンティブが必要となる。その結果が、リクルートの報酬システムなのだろうと思います(30代が社内を切り盛りするというのも当然、インセンティブ足りうる。こっちの方が経済的インセンティブよりウェイトが大きいかもしれない)。
あと、多様な人材を許容するという企業風土により、組織が硬直化して、組織が宗教化(悪い意味での会社第一主義。会社のためなら法を犯すこともいとわないぜ)することを抑止する効果も期待できるかもしれないと思います。


5) 昭和的価値観 19 「最近の若者は元気がないということ」 -日本企業を忌避しだした若者たちより引用
個人的には、確かに二極化は進んでいるものの、平均すれば今の20代はそれ以前の世代よりずっと努力しているし、結果的に優秀だと感じている。(中略)「最近の学生は本当に優秀ですね。20歳そこそこなのに、熱意もビジョンも、ロジックも素晴らしい。うかうか去年と同じ話はできないし、一部の鋭い質問と議論運びにはこちらも勉強させられる」(中略)「最近の若者は••••••という人たちは、その程度の学生にしか相手にされていない、という言い方もできるでしょう」
→メチャクチャシンパシーを感じます。優秀な人は超優秀と思うことがシバシバありますね。ただ、大学全入時代に入って、うだつのあがらない私大卒の学生は箸にも棒にもかからないとは思います。seehttp://researcher-station.blogspot.jp/2007/09/blog-post_05.html
高度に二極化が進んでいるということでしょう。実際、先端のテクノロジーは複数の領域がオーバーラップしている。ということは、先端のテクノロジーに携わっている人たちは、身につける知識が膨大なんだよね。コア領域だけでも進歩した部分を余計に知識として吸収しなければならないことに加えて、周辺領域についても勉強しなければならない。でここで質問。先端テクノロジーを牽引しているのは、いまの若者はダメだと嘆く、おじいちゃんおばあちゃんなのだろうか?自分が年取ったときに、愚かな懐古趣味に陥らないように気をつけたいと思うコンキチです。


6) 昭和的価値観 20 「ニートは怠け者だということ」 -「競争から共生へ」あるNPOの挑戦
就職とは、それまで民主的社会でつちかってきた個の価値観を一度否定し、組織の論理に染まる儀式のようなものだ。"立派な社会人"からすれば、「社会に出るとはそういうこと」であり、「それができない奴は甘えている」ということになる。
→結局、企業って広義の宗教だよね。会社を盲信することで、終身雇用という(虚妄の)救いを与えてあげるよという。


7) 昭和的価値観 22 「左翼は労働者の味方であるということ」 -21世紀の労働運動の目指すべき道とはより引用
対立軸は従来の左右ではなく、世代間にこそ存在するのだ。
→企業年金も同種の問題だと思います。例えば、確定給付年金と確定拠出年金について考えてみると↓
a) 確定給付年金→年配者が圧倒的に有利
b) 確定拠出年金→若者が圧倒的に有利
と言えると思います。
で、コンキチが勤務する会社では、適格退職年金があるんですが、ボチボチ廃止されるのでなんらかの処置をとらなければなりません。で、企業年金として存続させることになったのですが、確定拠出年金はおしなべて強く拒絶されましたね。
それから、疑似成果主義導入後の給料もそうでしょう。降格とか降給がない閉じたシステムの中にかって、もはや若年層は年配者と同等の給料UP↑(昇級)は望めない。


感想は以上です。

なかなか興味深い著作と思うとともに、自分の労働市場における価値を再考させられる内容と思いました。自分も人生の岐路に立っているような気がします。


それから、「3年で辞めた若者はどこへ行ったのか―アウトサイダーの時代 (ちくま新書 (708))」を所望の人は、左のリンクから買ってくれると嬉しいです。





0 件のコメント:

コメントを投稿